駄言を珠に研きませう駄言・金言ともに音庭にて受け付けております

 001   hayato jome    鼻筋なんか、なければいいのに‥。                2000.11.01

       わが冷蔵庫に七代目・市川新之助の助六ポスターを貼りつけ、まじまじとその横顔に見入っていた同居人が、
       ふいに私の顔に目を向けた。同じポーズまでとってあげたのに、一言、「ちがう。」と言った。
       そのとうりでございます。そもそも同じポーズで土俵にあがったのが間違いだった。
       「
鼻筋なんか、なければいいのに‥。」 同居人は笑っていた。

               鼻筋は、血筋がもっとも顕著にアラワレル部分のひとつである。
               隔世遺伝か、絶世の美男と謳われた十一代目・市川團十郎にうり二つと云われる当代新之助。
               せめてその鼻筋だけでも我が顔面に‥などと思ってみても、
鼻筋は血筋に逆らえないのだ。
               
私のじいちゃんは海老様ではない。鼻筋だけくっつくワケにはいかんのである。
               カクシテ世の女性は、美しい鼻筋に美しい血筋を見て、ひとときの時間旅行に浸る。

               いっそ鼻筋なんかなければいいのに。と思うのも当然である。血筋を見るなら耳で事足りる
               
のだから。

                                       

鼻筋なんか、なければいいのに‥。

 002   同階の紳士    どこか、いつかで‥。                2000.11.15

       私のアパートの同じ階に住む方で、物腰の柔らかな、どこか中性的な香りを醸す男性がいらした。
       たまにすれ違った時などに会釈するぐらいの方だったが、エレベーターに同乗したその日、
       週末にお引っ越しをされると話された。初めて語りかけてくださったその方が、最後にこう言われた。
       「
どこか、いつかで‥。」  
      私と反対の方向へと歩いて行かれたその方を、数歩して振り返ると、いつものまっすぐな後ろ姿が見えた。

               あの、それ、NGですよね。
               一番眺めのいい部屋にお住いだったその方は、なぞに包まれた紳士で、部屋からは、朗々と歌曲を歌われるお声が
               聞こえたものだ。20年間住まわれたお気に入りの部屋を出られるにあたり、新参者の隣人にご挨拶くだすった最後に

               
告げたかった言葉は、もちろん「いつか、どこかで‥。」でしょう。
               あの方は、あの時間にはよく、その日私が進んだ方向に歩いて出かけられていた。

               スタイリッシュなあの方、long good bye の後に同じ方向には行けなかったのだろう。‥それに、間違えたし‥
               
あの、それ、NGですよね。
               
いやいや。この言い間違いは、「あの方」から発せられたのである。リンとした後ろ姿の真裏には、大団円のコーダを
               とちったソリストの悲痛に満ちたお顔があったに違いない。

               立ち去り難い、後ろ髪ひかれる名言であった。

                                       

どこか、いつかで‥。

003   父    楽しい人生でした。さようなら。                2000.8.2

       私の父が2000年の夏、一度死にかけて一命を取り留め、
私たち兄弟を前に話した「最期のメッセージ」のしめくくりの言葉。

       
「楽しい人生でした。さようなら。」        

               私の父が2度目の入院をしたのは2000年7月の中旬だった。
               循環器系の疾患と消化器系の検査〜手術という二律背反の綱渡りのような入院生活の当初、危篤の知らせに
               親族一同が駆けつけたのだが、しぶとく生き延びた。まだ口はきけないと言われていた父が、子供達を前に
               もうろうとした口調ながら吐き出した言葉は
                「ひとつ、生命力無くしては、生きては行けない。」
                「ひとつ、妻のしあわせ無くしては、生きては行けない。」
                「ひとつ、周囲の人々の力無くしては、生きては行けない。」
               そして続いたのがこの言葉だった。せっかく助かったのになに言ってんだ‥、と一度はいさめたのだが
               真剣な目が宙をにらんだままだったので、「確かに聞きました。いざという時は皆に伝えるから、治すことに
               専念してください。」と言うと、安心したように父は泣いた。
               それから半年。症状のデパートと看護婦さんが言うほどの曲折の中、戦い続けた父だったが、2000年の歳暮
               12月29日午後0時46分、永眠した。12日に誕生日を迎えたばかりの、享年73歳だった。
               今となっては、言っといてよかった。聞いといてよかった。という言葉で、約束通り、本葬(翌30日)に、集り
               いただいた100人程の方々に、喪主あいさつの中でお伝えできた。
               秋田は男性天国。その中でも父のような惣領は「あんつぁ」と呼ばれる別格扱いで、それを地でいく父の口から
               出たこの言葉には、これ、リアリティというものがある。こんな言葉を言って、かえってせつながられる人では
               ない。 言っとくもんだ。言える生き方でありたいもんだ。と、思った。雪の晴れ間が、きれいだった。

楽しい人生でした。さようなら。