駄言を珠に研きませう。駄言・金言ともに音庭にて受け付けております。
鼻筋は、血筋がもっとも顕著にアラワレル部分のひとつである。
隔世遺伝か、絶世の美男と謳われた十一代目・市川團十郎にうり二つと云われる当代新之助。
せめてその鼻筋だけでも我が顔面に‥などと思ってみても、鼻筋は血筋に逆らえないのだ。
私のじいちゃんは海老様ではない。鼻筋だけくっつくワケにはいかんのである。
カクシテ世の女性は、美しい鼻筋に美しい血筋を見て、ひとときの時間旅行に浸る。
いっそ鼻筋なんかなければいいのに。と思うのも当然である。血筋を見るなら耳で事足りる
のだから。
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あの、それ、NGですよね。
一番眺めのいい部屋にお住いだったその方は、なぞに包まれた紳士で、部屋からは、朗々と歌曲を歌われるお声が
聞こえたものだ。20年間住まわれたお気に入りの部屋を出られるにあたり、新参者の隣人にご挨拶くだすった最後に
告げたかった言葉は、もちろん「いつか、どこかで‥。」でしょう。
あの方は、あの時間にはよく、その日私が進んだ方向に歩いて出かけられていた。
スタイリッシュなあの方、long good bye の後に同じ方向には行けなかったのだろう。‥それに、間違えたし‥
あの、それ、NGですよね。
いやいや。この言い間違いは、「あの方」から発せられたのである。リンとした後ろ姿の真裏には、大団円のコーダを
とちったソリストの悲痛に満ちたお顔があったに違いない。
立ち去り難い、後ろ髪ひかれる名言であった。
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私の父が2度目の入院をしたのは2000年7月の中旬だった。
循環器系の疾患と消化器系の検査〜手術という二律背反の綱渡りのような入院生活の当初、危篤の知らせに
親族一同が駆けつけたのだが、しぶとく生き延びた。まだ口はきけないと言われていた父が、子供達を前に
もうろうとした口調ながら吐き出した言葉は
「ひとつ、生命力無くしては、生きては行けない。」
「ひとつ、妻のしあわせ無くしては、生きては行けない。」
「ひとつ、周囲の人々の力無くしては、生きては行けない。」
そして続いたのがこの言葉だった。せっかく助かったのになに言ってんだ‥、と一度はいさめたのだが
真剣な目が宙をにらんだままだったので、「確かに聞きました。いざという時は皆に伝えるから、治すことに
専念してください。」と言うと、安心したように父は泣いた。
それから半年。症状のデパートと看護婦さんが言うほどの曲折の中、戦い続けた父だったが、2000年の歳暮
12月29日午後0時46分、永眠した。12日に誕生日を迎えたばかりの、享年73歳だった。
今となっては、言っといてよかった。聞いといてよかった。という言葉で、約束通り、本葬(翌30日)に、集り
いただいた100人程の方々に、喪主あいさつの中でお伝えできた。
秋田は男性天国。その中でも父のような惣領は「あんつぁ」と呼ばれる別格扱いで、それを地でいく父の口から
出たこの言葉には、これ、リアリティというものがある。こんな言葉を言って、かえってせつながられる人では
ない。 言っとくもんだ。言える生き方でありたいもんだ。と、思った。雪の晴れ間が、きれいだった。
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